栃木市の中心に位置する「かな半旅館」は、江戸安永年間創業の歴史のある旅館です。 大正7年、陸軍大演習が栃木中学校(現:栃木高校)で行われる際に、士官を泊めるために建てられた建物が、客室では一番古い建物になっております。その後、閑院宮もお泊りになりました。
館内にはその歴史を偲ばせる蔵や建築が所々に見られ、懐かしさを感じながらゆったりとお過ごしいただけます。
歴史と気品ある旅館ですが、女将が笑顔でお出迎え。ほっと癒される安心感があり、気軽に立ち寄っていただけるフレンドリーなお宿です。
当館は蔵の街栃木のほぼ中心にあり、観光めぐりの拠点に大変便利です。是非、ご利用くださいませ。お待ち致しております。
お客様からかな半に対するイメージを文章にしていただきました。
か | かわらぬ笑顔で迎えてくれて | |
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な | なにを食べても 美味しく癒される料理 |
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半 | 半端ない愛情 |
皆川城に仕えた武士が、町におりてきて、江戸期安永年間、大和屋半兵衛という名から屋号をとし、刀剣屋から始まり、商人宿になり今に至ります。逸話では、イギリス人女性旅行家イザベラバードが泊まったと伝えられています。
また離れの建物は、大正7年に、栃木中学校で行われた陸軍演習のための陸軍士官を宿泊してもらうために建てられました。高額な材料を使い、贅沢な建物になっています。その後、閑院宮がお泊りになられました。
隣接している近龍寺で自由民権運動の集会がもたれていたため、中心人物(田中正造など)が、かな半で、たびたび話し合いをしており、定宿になっていました。
写真は(写真2)、天保4年(1833年)正月15日に、かな半旅館で実際に出された会席料理のメニューです。古着屋会合が行われ、酒宴や寄り合い向きのお料理が振舞われたようです。この史料の他にも、栃木特有な商人たちが食べた会席料理の記録が残っています。
【写真2】天保4年に実際に出された会席料理のメニュー